最終的に、認識が共有されているかは、信じるしかありません。
とはいえ、確信の度合を高める方法は、いくつかあると思います。
例えば、仕事の作業依頼の様に、ある程度正確に表現でき、正しく伝わることが重要な場合は、
認識した内容を元にアウトプットしてもらい、想定範囲内かどうかを確かめています。
2006/10/04
コミュニケーションの飛躍
私の話したいことは、私にしか解らない。
私自身も全て把握できているわけではない。
相手が解釈したことは、相手にしか解らない。
相手自身も全て把握できているわけではないだろう。
お互いが異なるこころの地図を持っているのだから、
認識した内容が同じかどうかを確かめるすべはない。
お互いが、同じ認識を共有できていると信じるられたとき、
コミュニケーションが成り立ったといえる。
この大きな飛躍こそがコミュニケーションの本質だろう。
私自身も全て把握できているわけではない。
相手が解釈したことは、相手にしか解らない。
相手自身も全て把握できているわけではないだろう。
お互いが異なるこころの地図を持っているのだから、
認識した内容が同じかどうかを確かめるすべはない。
お互いが、同じ認識を共有できていると信じるられたとき、
コミュニケーションが成り立ったといえる。
この大きな飛躍こそがコミュニケーションの本質だろう。
メンタルイメージ
時々、自分自身のメンタルを、映像としてイメージしてきました。
とくに気分が落ち込んでいるときに。
今までは暗闇に浮かぶ何かでした。
例えば
今日浮かんだイメージは、これまでと違い
「縁」「可能性」「フロー」などが連想されて、
イメージを繰り返すだけで気力が出るような良いイメージです。
背景が暗闇では無くなったのも、境界があやあふやなのもいい感じです。
これから、しばらくはこれでいってみます。
とくに気分が落ち込んでいるときに。
今までは暗闇に浮かぶ何かでした。
例えば
- 暗闇に浮かんでいる青い結晶
- 暗闇に浮かんでいる円柱とそれを囲む円盤
- 暗闇に浮かんでいる螺旋の螺旋の螺旋の螺旋
- 暗闇に浮かんでいる銀色のリング
今日浮かんだイメージは、これまでと違い
- 黄緑色の光の中に湧き続ける水
「縁」「可能性」「フロー」などが連想されて、
イメージを繰り返すだけで気力が出るような良いイメージです。
背景が暗闇では無くなったのも、境界があやあふやなのもいい感じです。
これから、しばらくはこれでいってみます。
2006/09/18
ミルカさんシリーズ
前回のエントリを改めて読み返してみると、なんだか偉そうです。
ひとの日記を批評してどうしたかったのでしょう?
思い返してみると、結城さんのイメージがズレてしまってなんだか残念という、勝手な感情があったように思います。「ミルカさんシリーズ」をよんで、解からないことを楽しめる方なんだと、ある種の尊敬を抱いていたのでした。
とはいえ、「なにか残念」と直接的に表現するのは気がひけたので、あんあ書き方をしたような、、、チョッと卑怯な文章ができあがったのです。
忙しいときもあれば、穏やかな時もあり、いつでの聖人君主でいられるわけは無いのに、ちょっとしたことを批評してしまっています。私は、まだまだ「尺度の世界」から抜けられていないようです。
今は忙しさに目が回りそうですが、一息ついたら数学ガールを読み返してみます。
ひとの日記を批評してどうしたかったのでしょう?
思い返してみると、結城さんのイメージがズレてしまってなんだか残念という、勝手な感情があったように思います。「ミルカさんシリーズ」をよんで、解からないことを楽しめる方なんだと、ある種の尊敬を抱いていたのでした。
とはいえ、「なにか残念」と直接的に表現するのは気がひけたので、あんあ書き方をしたような、、、チョッと卑怯な文章ができあがったのです。
忙しいときもあれば、穏やかな時もあり、いつでの聖人君主でいられるわけは無いのに、ちょっとしたことを批評してしまっています。私は、まだまだ「尺度の世界」から抜けられていないようです。
今は忙しさに目が回りそうですが、一息ついたら数学ガールを読み返してみます。
2006/09/16
単純なモデルで把握する
結城さんの日記で、カラーQRコードの情報量について記述されていました。
答えが何倍であろと良いのですが、答えの導きかたに強い違和感を感じます。
「情報量の定義」を持ち出す必要はありません。この定義は、通常の感覚で把握している情報量を数学的に表現したことに意義があります。
「よくわからないけれど、手順にしたがったら答えを導けた」を目指すなら別ですが。
「導かれた答えを利用したいのであって、答えの導き方は気にしない」ことは良くあります。
むしろ、実生活では導き方を気にすることはほとんどありません。
しかし、もし導き方を気にするのであれば、実感と離れた定義や理論を持ち出すのでは無く、自身の実感に根ざした範囲で導いてほしいと思います。
例えばこのカラー2次元コードの問題では、白黒の2次元コードを印刷した紙を24枚重ねてみた所をイメージをします。
全体を貫く形で1ピクセルに注目すれば、1枚に付き2種類(白黒)のパターンがあり24枚重なっているので、全体では2^24種類のパターンがあることになります。
これらのパターンを別々の色で表現するならば、2^24=16777216色が必要になります。
(問題の題意とは導出順序が逆ですが、24枚重ねではなくn枚重ねとしてnを求めれば題意に沿うかと思います。)
ともかく、こう考えると1677万色の2次元コードは白黒の24倍の情報量というのは、実感として把握できます。
実感として把握できたものは、勘違いがあったとしても答えに自信が無いということはありません。
逆に、間違った場合も、今まで考えが及ばなかった「何か」があることを示しているので、その「何か」を探す楽しみとなります。
答えが何倍であろと良いのですが、答えの導きかたに強い違和感を感じます。
「情報量の定義」を持ち出す必要はありません。この定義は、通常の感覚で把握している情報量を数学的に表現したことに意義があります。
「よくわからないけれど、手順にしたがったら答えを導けた」を目指すなら別ですが。
「導かれた答えを利用したいのであって、答えの導き方は気にしない」ことは良くあります。
むしろ、実生活では導き方を気にすることはほとんどありません。
しかし、もし導き方を気にするのであれば、実感と離れた定義や理論を持ち出すのでは無く、自身の実感に根ざした範囲で導いてほしいと思います。
例えばこのカラー2次元コードの問題では、白黒の2次元コードを印刷した紙を24枚重ねてみた所をイメージをします。
全体を貫く形で1ピクセルに注目すれば、1枚に付き2種類(白黒)のパターンがあり24枚重なっているので、全体では2^24種類のパターンがあることになります。
これらのパターンを別々の色で表現するならば、2^24=16777216色が必要になります。
(問題の題意とは導出順序が逆ですが、24枚重ねではなくn枚重ねとしてnを求めれば題意に沿うかと思います。)
ともかく、こう考えると1677万色の2次元コードは白黒の24倍の情報量というのは、実感として把握できます。
実感として把握できたものは、勘違いがあったとしても答えに自信が無いということはありません。
逆に、間違った場合も、今まで考えが及ばなかった「何か」があることを示しているので、その「何か」を探す楽しみとなります。
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