2006/12/22

直観と論理思考

論理思考の方が、他人に考えを伝えやすく理解してもらいやすい。そもそも他人の直観は理解できない。
ただ、直観の方が思考の速度が早い。論理思考と比較して圧倒的に。

直観は連想を基にしていて、tag形式で情報が関連づけられているようのに近い。
一方で論理的思考は、連想が整理され直されていて、tree形式の関連付けがされている。

直観から論理化が思考が明確化していく流れだとすると、考えをまとめる場合や文章を書く場合、
断片を緩やかに結合させて、後で整理するようなツールがあるととってもいい感じ。

以前、tag形式とtree形式について考えたけれど、混合された形式が理想かも。
あとはツールをどう作るか。

mixi始めてみました

半月ぐらい前ですが、日記の話題になりmixiに書いていると言うことで招待してもらいました。とは言え、全然エントリーを投稿していません。すごく 心理的な障壁が高いのです。

なにやら空気読みまくりで、ステレオタイプから外れないようなコメントが多く、
思ったことをそのまま載せる事が出来ません。
気分を害するひとは読まなければいいのですが、運営側の意図なのか
「他のひとに読んでもらって、友達の輪を広げましょう」
というノリが強制されているようで、不快に思う人がいそうなネタはかけないのです。

わたしの場合、自己意識に関する考察や気づきが記録したいことの大半なので、
場所が違うかなと。
当たり障りの無い近況をメモるようにして使い分けてみます。

落ち着いてきました。

以前は〆切がタイトになるとパニックになりかけていましたが、タイトな〆切でもある程度冷静に対処できるようになりました。
仕事相手にイライラしてしまうときは、Barによって気分を落ち着けると、自分はどんな手だすけが出来るか?と視点を変えられるようになります。
Bar(おもにパスティス)は良い所です。

2006/11/19

順番が逆なのか?

現在の職場環境が原因で、集中することも出来ず、メンタルモデルが狂ってきているのかと思いました。でも、逆に退職することを決断したことで、メンタルモデルが狂い集中力が低下している気もします。
ネガティブスパイラルが発生している?
規則その6を忘れかけている?

退職について

今回携わっていたプロジェクトが11/24に納品を迎えます。
決定的にどうにもならないと思っていましたが、
なんとか形は整えられそうです。

ゴールの目処がたったにもかかわらず、精神状態が変な方向に向かっています。
何か思考がまとまらず、集中することが出来ません。
会社にいくこと、仕事のことを考える ことが、非常なプレッシャーになっています。
自分でも状態を良く把握できていません。
メンタルモデルが狂っているような感じです。

稼働が楽になれば、精神状態は安定すると思っていたのですが、
今の環境で仕事を続けていくのは難しそうです。
引継もあるので、今年度一杯(来年の3月)を目処に、
今の会社を止めることにしました。
(事業部長には話を伝えていませんが)

同僚は良い人が多く、いざ決めてみると、寂しさが湧き出してきます。
数年前なら、人間関係を切り離していたので、こんな気分にはならなかったでしょう。
最近のプロジェクトチームのメンバーが素晴らしかったからだとおもいます。

さて、退職後にどうするかは、考えられていません。
一般的には、別の仕事を探すべきなんでしょうが。
これから、気分が乗っている日を選んで考えていきます。

2006/11/17

ノンバーバル情報の伝達手段

ノンバーバルな 情報を伝えるために、バーバルなコミュニケーションをしたい状況があります。

要素だけをつれづれと
  • 相互認識の不一致
  • 信頼感が希薄な状態
  • 警戒心と緊張感
  • 緊張感の伝播
  • つくりごとの緊張感の再構成による解消

2006/11/16

日々すこしづつ

全然更新しないまま一ヶ月以上空いてしまいました。

メンタルモデルが比較的安定したためか、記録を残さなければ
と思うような気づきが ありませんでした。

とはいえ、開発が本格化して、深く考えなかったというものあります。
考える時間があれば、寝たかった。。。

とりあえず昨日のサイト更新さぎょうで一区切りついたので、
少しの時間でも毎日考えを記録していこうとおもいます。

創作のための意識改革術を参考に。

2006/10/08

認識共有の確認方法

最終的に、認識が共有されているかは、信じるしかありません。
とはいえ、確信の度合を高める方法は、いくつかあると思います。

例えば、仕事の作業依頼の様に、ある程度正確に表現でき、正しく伝わることが重要な場合は、
認識した内容を元にアウトプットしてもらい、想定範囲内かどうかを確かめています。

2006/10/04

コミュニケーションの飛躍

私の話したいことは、私にしか解らない。
私自身も全て把握できているわけではない。

相手が解釈したことは、相手にしか解らない。
相手自身も全て把握できているわけではないだろう。

お互いが異なるこころの地図を持っているのだから、
認識した内容が同じかどうかを確かめるすべはない。

お互いが、同じ認識を共有できていると信じるられたとき、
コミュニケーションが成り立ったといえる。

この大きな飛躍こそがコミュニケーションの本質だろう。

メンタルイメージ

時々、自分自身のメンタルを、映像としてイメージしてきました。
とくに気分が落ち込んでいるときに。
今までは暗闇に浮かぶ何かでした。
例えば
  • 暗闇に浮かんでいる青い結晶

  • 暗闇に浮かんでいる円柱とそれを囲む円盤

  • 暗闇に浮かんでいる螺旋の螺旋の螺旋の螺旋

  • 暗闇に浮かんでいる銀色のリング
など。
今日浮かんだイメージは、これまでと違い
  • 黄緑色の光の中に湧き続ける水
でした。
「縁」「可能性」「フロー」などが連想されて、
イメージを繰り返すだけで気力が出るような良いイメージです。
背景が暗闇では無くなったのも、境界があやあふやなのもいい感じです。
これから、しばらくはこれでいってみます。

2006/09/18

ミルカさんシリーズ

前回のエントリを改めて読み返してみると、なんだか偉そうです。
ひとの日記を批評してどうしたかったのでしょう?

思い返してみると、結城さんのイメージがズレてしまってなんだか残念という、勝手な感情があったように思います。「ミルカさんシリーズ」をよんで、解からないことを楽しめる方なんだと、ある種の尊敬を抱いていたのでした。

とはいえ、「なにか残念」と直接的に表現するのは気がひけたので、あんあ書き方をしたような、、、チョッと卑怯な文章ができあがったのです。

忙しいときもあれば、穏やかな時もあり、いつでの聖人君主でいられるわけは無いのに、ちょっとしたことを批評してしまっています。私は、まだまだ「尺度の世界」から抜けられていないようです。

今は忙しさに目が回りそうですが、一息ついたら数学ガールを読み返してみます。

2006/09/16

単純なモデルで把握する

結城さんの日記で、カラーQRコードの情報量について記述されていました。

答えが何倍であろと良いのですが、答えの導きかたに強い違和感を感じます。
「情報量の定義」を持ち出す必要はありません。この定義は、通常の感覚で把握している情報量を数学的に表現したことに意義があります。
「よくわからないけれど、手順にしたがったら答えを導けた」を目指すなら別ですが。

「導かれた答えを利用したいのであって、答えの導き方は気にしない」ことは良くあります。
むしろ、実生活では導き方を気にすることはほとんどありません。
しかし、もし導き方を気にするのであれば、実感と離れた定義や理論を持ち出すのでは無く、自身の実感に根ざした範囲で導いてほしいと思います。

例えばこのカラー2次元コードの問題では、白黒の2次元コードを印刷した紙を24枚重ねてみた所をイメージをします。
全体を貫く形で1ピクセルに注目すれば、1枚に付き2種類(白黒)のパターンがあり24枚重なっているので、全体では2^24種類のパターンがあることになります。
これらのパターンを別々の色で表現するならば、2^24=16777216色が必要になります。
(問題の題意とは導出順序が逆ですが、24枚重ねではなくn枚重ねとしてnを求めれば題意に沿うかと思います。)

ともかく、こう考えると1677万色の2次元コードは白黒の24倍の情報量というのは、実感として把握できます。
実感として把握できたものは、勘違いがあったとしても答えに自信が無いということはありません。
逆に、間違った場合も、今まで考えが及ばなかった「何か」があることを示しているので、その「何か」を探す楽しみとなります。

認知のスパイラル化

何度も実感することですが、一度認識したと思った後は、その認識に沿う情報を受け入れて、反する情報は排除してしまうようです。この情報の分別が認識を固定化し、さらに分別を強化してしまうといったスパイラル状態を発生させてしまいます。

これは、意識して分別するというより自動的、瞬間的に行われています。「認識する」ということ自体の特質であるように思えます。

ポジティブな認識が組み立てられているときは、そのままでも良い様に思いますが、ネガティブな認識がスパイラル化したときは、なんらかの歯止めが必要です。
具体的な手段はありませんが、認識はスパイラル化するものとこころに留めておけば、多少の効果はあるでしょう。

不知爲不知

ザンダーさんの本を何度か読み返していますが、読み返すたびに気づかされることがあります。読み飛ばしたという記憶は無いのですが、こころの中に地図が出来ていなかったため、認識できなかったのでしょう。
認識できていない事自体を認識することは困難です。あとになって振り返って、あのときは認識できていなかったと気づきます。
それでも、完全に理解できたと思えないことを、無視するのでは無く保留するようにすれば、少しづつこころの地図が充実して良く様に思います。

2006/09/10

Lingrをダラダラ書きのメモとして使ってみる。

LingrはWebチャットという位置づけで提供されていますが、単なるメモツールとしても結構便利につかえそうです。
さっそく、「Art Of Possibility」についてのメモを作ってみました。

Wikiでは文章構成なんかに気がいってしまって、書きはじめの敷居が高くなります。
それに比べてBlogは気楽なのですが、それでも考えがある程度整理されてからでないと、とっつきにくく感じてしまいます。

さらに敷居を下げて、考えがまとまる前に書いてみる、書きながら考えをまとめる、と言う使い方をしてみようと思います。

2006/09/08

江島さんのWebチャットサービス

CNET Japanでブログを書いている江島健太郎さんのチームがWebチャットサービスLingerを公開しています。
Ajaxな感じのUIですが、Cometと呼ばれる仕組みで実装しているそうです。
AjaxがPull型なら、CometはPush型ということのようです。(翻訳
GMailのチャット機能もこれを利用しているそうな。
ブラウザがどんどんC/Sシステムになっているような気がします。

FlashやJavaAppletでも同じようなことは出来るのでしょうが、標準装備されてるツールで実現できるのがいい感じです。
互換性確保のためにいろんな苦労がありそうですが。

2006/09/03

Javascript開発用Bookmarklet

Javascript開発に便利そうなBookmarkletが以下のサイトで公開されています。
http://www.squarefree.com/bookmarklets/webdevel.html

2006/09/02

ザンダーさんの講演会のその後

ザンダーさんの講演会のその後ようすが公開されています。
http://www.coach.co.jp/event2006/forum2006_fin

翻訳書の題名

題名は、本の第一印象です。
内容とそぐわない題名は、読む人に余計な先入観をあたえるだけでなく、
そもそも手に取られなくなってしまいます。

「チャンスを広げる思考トレーニング」
題名からすると「いかにチャンスを掴むか?そのためにはどうすればいいか?」という内容に思えます。
実際の内容はその全く逆で、ひたすら成功を追い求める世界(尺度の世界)から離れて、貢献と協調の世界(可能性の世界)に身を置くことを提案しています。

とはいえ、題名が微妙な翻訳書は結構あるようなので、そういう物かもしれません。私が気になっている本にも、書店で見掛けても手に取らないだろうと思わせる題名のものが結構あります。

「幸せになる技術—心の目覚めのための21のエクササイズ 」
(スリクマー・S. ラオ )

原題は「Are you ready to succeed?」

「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」
(エックハルト・トール)

原題は「The Power of Now」

「ずっとやりたかったことを、やりなさい」
(ジュリア・キャメロン)

原題は「The Artist's Way」

「フロー体験 喜びの現象学」
(チクセントミハイ)

原題は「Flow: The Psychology of Optimal Experience」

2006/08/26

Writelyからの投稿サンプル

日本語の入力も大丈夫で、結構サクサクかけたりします。
wikiよりも記述が容易なので、検索が充実すれば、
文書による情報共有が手軽になりそうです。

共同文書作成ツール

writelyです。
Webで文書作成って、動作がおもくて使いにくい印象があったのですが、
サクサクな感じです。
インターフェイスとしては、Wikiよりも記述しやすくかんじました。
Tag付けや共有機能もあるようなので、うまく使うとWikiの代替になるかもしれません。

2006/08/14

感情は自動的ということ

少し前に、必要以上に攻撃的になったりして、
自分の感情に対処できていないと感じたことがありました。

そのときに気がついたのですが、感情はそのときの現状認識から
半ば反射的、自動的に発生するもののようです。

発生した感情が良いものにしろ悪いものにしろ、発生していることを
認めないと、適切な発露が失われて対処でき無くなります。

まず、発生した感情を良い悪いの判断をせずに認め、その元となっている現状認識を確認します。感情が妥当だと思えない場合は、現状認識を整理し直すと自ずと収まるようです。

2006/08/13

KEMURI

Bさんからお薦めとして借かりて、はまってしまいました。
ジャンルは Ska/Punk になるんでしょうか?よくわかりません。

PMA(positive mental attitude=肯定的精神姿勢)をバンドの哲学に掲げているらしく、苦しさを乗り越えるような歌詞でも、とても明るい曲調で歌いあげています。
KEMURIのプロファイル

ザンダーさんがいう「可能性の世界」と同じ物が表現されているように感じました。今まであまり聞かないジャンルですが、人に進めたくなっています。

逆に、Bさんにザンダーさんの本を進めてみるのもいいかもしれません。

2006/08/08

ECサイト構築プロジェクト

昨日、基本設計書の第一部分についてレビューが終わりました。
機能を大きく3つに分割し、各部分について検討/設計/レビューを繰り返していく。
という進め方をしているので、最初の山場です。

プロジェクトの開始当初はどうなることかと思っていましたが、
みなさんの協力があったおかげで、しっかりした物を提示することが出来ました。
お客さんとの関係も、いい感じになってきています。

みなさんに感謝です。

2006/07/30

ザンダーさんの講演会

先月に申し込んでいた、ベンジャミン ザンダーさんの講演会に行ってきます。

「Experiencing the Art of Possibility〜コーチングを実証する」です。

今回も、日本語の題名は何か焦点がずれていますが、著作から推察すると内容は楽しくなりそうです。
席はL63と横の方なので、眼鏡を持っていった方がいいかもしれません。

著書:「チャンスを広げる思考トレーニング」(洋書名「The Art of Possibility」)

2006/07/26

AdSenseに「日本総合カウンセリング」

AdSenseの内容が「日本総合カウンセリング」になっていました。
「攻撃的」だの「焦燥感」だのと言っていた影響でしょう。

とは言え、当面日々の気分を記録して見ようと思っています。
丁寧語で一日の気分を振り返るのは、何やら良い影響がありそうな気がします。

気づくと攻撃的気分に

今日も焦燥感が募っていたので、原因を探りつつ生活していると、
夕方ぐらいに気づいたときには焦燥感が消えていました。

そういえば、昨日も帰りの電車に乗るころには
緩和されていた様な気がします。

ただ、その代わりなのか、ちょっとしたことで攻撃的になっているようです。
エレベータのボタンがすぐ点灯しないといって連打してみたり、
スーパーのドアが締切になっていたからといって、叩きわってみたくなったり。

改めて振り返ると、危ない人です。

2006/07/24

焦燥感と緊張感

今日一日、変な焦燥感と緊張感に包まれていました。
今まで体験したことの無いような感覚です。

現在のプロジェクトはスケジュールがタイトなため、たしかに
のんびりと出来ません。
それでも、当面の打ち合わせに向けた作業は目処が立っているので、
直接の原因では無いように思えます。

以前に過密労働していたときのように、毎朝胸が苦しかったり
作り笑いをしようにも顔の筋肉が懲り固まってうまくいかない等の
症状もないので単なる風邪かも。

とはいえ、なにやら鬱病のような症状なので、無理せず、
楽しむ事を主眼に様子を見てみます。

2006/07/19

Trac

WikiとSubversionその他を連携させてプロジェクト管理をするツール。(情報ページ)
OSSで構成されているのが、いい感じです。

2006/07/07

GTD

IT MediaでGTDの紹介が載っていました。

実践の流れはシンプルです。
1. 頭の中の「やりかけの仕事」を「すべて」紙に書き出す
2. それぞれの「やりかけの仕事」について望むべき結果を決める
3. 定期的にそれらをレビューする

実践してみないとわかりませんが、続けられそうな感じなので、
早速今週末にやってみます。

2006/06/12

今日のひとこと

近頃、中島聡さんのブログ Life is beautiful が読みにくくなってきました。
問題を出して、回答を寄せた人を評価するといった内容が多くなっています。

ここ半月ほどのことですが、この手の内容を生理的に受け付けなくなってきています。
私自身の心情が変化中であることやプレッシャーの増加が原因になっているようです。

しばらくは読むのをやめておこうかと思います。
頻繁に更新があり、息抜きで読むにはちょうど良かったのですが。
ブログから持ってきた「今日のひとこと」も外すことにしました。

2006/06/01

Tag形式とTree形式

ある程度の長さがあるメモを残したいと思ったときに、整理方法に悩んでしまいます。
主要な単語の目星がつけば、検索して見つければ良いのですが、記憶があやふやなのが、しょっちゅうなので、できればタイトルや要約で整理したいのです。

PukiWikiのようにタイトルをTree形式(Path形式)で記述するのは、整理したものを読む場合にとても重宝します。構造自体が内容を絞り込んでいく手引きになってくれるので、記憶を手繰る必要がありません。その反面、新規に作成する場合は「Treeのどこに配置するか」について、書く内容以上に悩むことがあり、「メモ」の手軽さがなくなってしまいます。

FlickrやGMailのようにTagを付けて、Tagで整理するのも便利なのですが、一覧性に欠けます。GMailの場合、スレッド単位でまとまった上でのTag付けなので、必要な一覧性は確保しているのですが、メモの場合は、適切な単位がはっきりしません。とはいえ書くだけ書いた後でTagを付ければ良いので、作成時に余計な負担が無いのは魅力的です。

「書くとき」と「読むとき」のどちらかが手軽なだけでなく、両方手軽な方式があるとありがたい。
ということで、TreeとTagのハイブリットを考えてみました。

1. 小さなTree構造を複数作成し、Tagをつけて整理する。
2. Tag自体にTree構造または、net構造を持たせて整理する。
3. 「超整理法」的アプローチとして作成日時や更新日時、更新頻度で整理する。

全部満たすのは余計な複雑さが増えるだけのような気がするので、2+3で仕様を練ってみます。
PerlかRubyで作るつもりになってきていますが、出来上がるのかは不明です。

2006/05/19

Ruby on RailsのIDE環境

Rubyでのプログラム開発を真面目に試そうとしてRailsに手を出した所、
チョッとした物を作るには色々面倒で挫折していました。
Ajaxで作ろうとすると、サーバー側も通常のテキスト処理と同じようになりますし。

でもEclipseベースのIDE環境(配布サイト)があるらしいので、そのうち試してみます。
Java開発でコードアシストになれて、長いクラス名やメソッド名を気軽に付ける
癖が付いているので、コードアシスト機能に期待しています。

2006/05/17

ジョブズのスピーチ

少し前の記事ですが、ジョブズのスピーチ(翻訳)がブログに公開されています。
非営利ならば転載可とのことなので、以下に転載します。

ジョブズの卒業祝賀スピーチ
(2005年6月12日、スタンフォード大学)
原文URL:http://slashdot.org/comments.pl?sid=152625&cid=12810404

 PART 1 BIRTH

 ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。

 本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。

 私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。
 私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。
 しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。

               ◆◇◆

 PART 2 COLLEGE DROP-OUT

 こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。
 そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。

 夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。
 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。

 ひとつ具体的な話をしてみましょう。

               ◆◇◆

 PART 3 CONNECTING DOTS

 リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。
 セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。

 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。
 もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。

 もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、
 あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。
 そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。

 もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

               ◆◇◆

 PART 4 FIRED FROM APPLE

 2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。
 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。
 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。
 自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。
 ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。

 その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。
 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。
 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。

 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。

 アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ
一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。

               ◆◇◆

 PART 5 ABOUT DEATH

 3つ目は、死に関するお話です。
 私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。
「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。
 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。
 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。

               ◆◇◆

PART 6 DIAGNOSED WITH CANCER

 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。
 医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。
 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、ということです。

 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。

 これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。

 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだから、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。
 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。

               ◆◇◆

 PART 7 STAY HUNGRY, STAY FOOLISH

 私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。
 それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。
 スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。
 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry, stay foolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

Stay hungry, stay foolish.

ご清聴ありがとうございました。

the Stanford University Commencement address by
Steve Jobs
CEO, Apple Computer
CEO, Pixar Animation Studios

翻訳 市村佐登美

スタンフォード公式URL&録画映像
http://news-service.stanford.edu/news/2005/june15/videos/51.html
http://news-service.stanford.edu/news/2005/june15/jobs-061505.html

translated texts here are copyrighted to the translator, **satomi ichimura

2006/05/16

意外と自己無批判はむずかしい

「自己批判をしないこと」は、簡単なようでいて、徹底的に行おうとすると
かなりの困難を伴います。

「○○○はダメだ」というように、自覚的に考える場合は抑制出来ますが、
無自覚の思考は自覚的に制御できないので、ネガティブになることを抑制出来ません。
思考がネガティブに流れないようにするには、認識モデル自体の変更が必要です。

  • 他人を評価すると、同じ評価軸で自分も評価してしまいます。
  • 良い評価であっても、評価軸が導入されれば、悪い評価に変わる可能性があります。
  • 他人の心情を慮る場合も、評価軸が導入されることがあります。
  • 評価軸の導入を避けるあまり、快不快を混合すると全体が不快になってしまいます。

  • 2006/05/09

    根拠の無い自己肯定感を維持する

    算数の考察も一段落付いたので、自身の内面について見直してみます。

    心が穏やかで安定するためには、「自己肯定感」が必要になります。
    それも「根拠が無い」ことが重要です。
    根拠のある自己肯定では、なんらかの「基準」を満たしていることが
    肯定のベースになってしまうため、常に自己がその基準で評価されます。
    この場合、もし基準をクリアできなければ自己が否定されてしまうため、
    強迫観念をともなって自己を基準にあわせ続けることになります。
    自己を肯定するために自己を評価し束縛するのでは、本末転倒です。

    この点で自己陶酔では安定感に欠けます。
    基準を受け入れて自己認識にバイアスをかけるよりも、自己評価を
    行わない方が内面の一貫性を保てます。

    2006/05/07

    「今日のひとこと」を貼ってみる

    中島さんの作成された「今日のひとこと」を貼ってみました。
    成分解析器といい、これといい、ちょっとした物がいい感じです。
    "Simple is beautiful"ってことが実感できます。
    もっとも、複雑な事にシンプルなUIを提供するには、それなりの技術がいるものですが。

    スタイルを変えてみる。

    CSSを拾ってきて、スタイルを変えてみました。

    自動でページ上部に付くバーのためか、ヘッダ部分が変なレイアウトになるので
    画像を置くのは止めています。
    Linux版のFirefoxでしか動作を確認していないので、他のブラウザで見ると
    崩れているかもしれません。

    自動生成のHTML+CSS は、崩れたときに何が影響したのかわかりにくいので、
    ストレスが溜ります。取り合えず、しばらくは触りたくなくなりました。

    2006/05/06

    yahoo!のUI用Javascript

    米yahoo!から、UI用Javascriptがリリースされたようです。
    http://developer.yahoo.com/yui/
    BSDライセンスなので、仕事でも自由に使うことが出来ます。
    時間があれば、サンプルを作りつつ、詳細まで調査したいところです。

    結局何が解かったのか

    四則演算について~終わり

    そもそもは、オイラーの公式が表しているものを具体的に
    掴めないことから始まって、
    eのi乗ってどんな演算?
    「公式」と名前がついてるけれど、むしろ定義なのでは?
    という感覚を裏付けることが目的でした。
    正の整数で把握している演算を把握し直して、負の数や虚数まで拡張する
    ことを繰り返していけば、e^iもある程度イメージが出来て、
    e^2やe^(-3)などの拡張として把握できると考えました。
    途中で挫折したけれど。

    もとに戻って、i乗に対するイメージの中ではっきりしているもの
    を考えると、「i乗のi乗は-1乗」です。
    式にすれば、(e^it)^i=e^(-t)。
    ここで、オイラーの公式を証明済みとして受け入れて、
    この式の左辺に代入すれば、
    (cos(t) + i*sin(t))^i=e^(-t)
    となります。
    tに0,2pi,4piを代入してみます。
    1^i=1
    1^i=0.001867...
    1^i=0.000003...
    おかしなことになりました。
    左辺は周期関数のi乗で、右辺は単調減少関数なので、
    代入するまでもなく式が不適切なようです。
    「i乗のi乗は-1乗」が間違ったイメージなのでしょうか。

    結局、オイラーの公式にあるeのi乗は、私にはイメージできない何か不思議な
    演算を表しているか、特定の複素数をe^iと表現すると表記が便利になるという
    ことが解かったのでした。

    2006/05/02

    アクロバットに微分してみる

    四則演算について~その7

    複素数の微分は実数と同じにできると信じて、
    (-1)^x = cos(x*pi) + i*sin(x*pi)
    の両辺をxで微分してみると、
    (-1)^x*log(-1)
    = -sin(x*pi)*pi + i*cos(x*pi)*pi
    = i*pi*(cos(x*pi) + i*sin(x*pi))
    = i*pi*(-1)^x
    になります。

    log(-1)=i*pi は書き直すと e^(i*pi) = -1 になるので、
    これを最初の式に入れると、
    (-1)^x
    = (e^(i*pi))^x
    = e^(i*pi*x)
    = cos(x*pi) + i*sin(x*pi)
    x*piをtと置き直せば、
    e^(i*t) = cos(t) + i*sin(t)
    となって、オイラーの公式と重なります。

    割り算をすっ飛ばして

    四則演算について~その6

    完全に解かっていたつもりの四則演算も、はじめから把握し直してみると、
    実はきちんと理解していなかったことに気づきました。
    モヤモヤしている考えを整理するは、新たな発見があり面白いものです。
    でも、、、そろそろ飽きてきてしまいました。
    Adsenseも、いつのまにか「Fortran統合開発環境」やら「Java で高速 数値 演算」に。

    このままの調子で進めても、オイラーの公式に至るには道が長そうなので、
    一気に虚数iまで飛ばしてしまいます。

    i=(-1)^(1/2) と定義されるので、「-1は向きの反転」と同様に解釈すれば、
    「iは向きの4分の1回転」となります。+1を→、-1を←とするなら、iは↑。
    矢印が右向きから反時計回りに回るイメージです。
    このイメージを複素平面で表現すると、
    (-1)^x = cos(x*pi) + i*sin(x*pi)
    となります。
    cosとsinなのは、回転を表す周期関数として都合がよさそうだから。
    pi(=3.141592...)を掛けるのは、周期を2とするためです。
    イメージなので、正確さはありませんが、もう気にしません。

    割り算の前に、掛け算の再定義

    四則演算について~その5
    石橋を叩くように自分の理解を整理していくと、小学校のころ
    納得がいかなかった事がいろいろあったことを思い出します。

    さて、割り算の定義には、新しい概念が不要かと思っていましたが、
    そんなに単純ではなさそうです。
    掛け算を加減算の繰り返しと考えると、反対は(-1)を掛けることになり
    割り算は出てきません。

    掛け算をもう少し概念的に拡張して
    「向きを含めた単位の変換」
    と定義し直します。

    「操作の繰り返し」比べると、2*3 が 3*2になるような転換がありますが、
    そこら辺は気にしないことにします。

    2006/04/30

    負整数の乗算と向きの変換

    四則演算について~その4

    乗算を負に拡張するには、
    「正の場合と基点に対して逆の操作を繰り返す」
    とするのがよさそうです。

    →を←に、←を→にするのを *(-1) とします。
    具体的には、
    0→→2
    ←←02*(-1)=-2
    ((0→→)→→)2*2=4
    (←←(←←0))2*(-2)=-4


    この定義から *(-1)*(-1) は、→を←にしてから→に戻すことになります。

    正整数の乗算

    四則演算について~その3
    加減算をきちんと把握し直したので、つぎは乗算の整理を。

    かけ算をシンプルに把握するにはどすると良いか考えた結果、
    正整数の範囲で、
    「基点に対する加減算の結果を、ひとつの操作として、その操作を繰り返すこと」
    と定義することにしました。

    具体的に書くと、
    ((0→)→)1*2=2
    (0→→)2*1=2
    (((0→→)→→)→→)2*3=6
    (←←(←←0))(-2)*2=-4

    0の場合は、「操作を行わないこと」とすればすっきりと収まります。

    2006/04/28

    引き算と向き

    四則演算について~その2

    足し算のときには、向きが要らなかったというより、
    一方向だけだったので意識する必要がありません(出来ません?)でした。

    足し算の逆演算として引き算をかんがえると、逆向きが必要になります。
    二方向になったので、向きを意識する必要もでてきます。

    「+」 を「 → 」で表せば、「-」 は「←」
    00
    0→0+1=1
    0→→0+1+1=2
    ←00-1=-1
    ←←00-1-1=-2
    0→
     ←
    0+1-1=0

    う~んテキストだけだと表現しにくい。
    ま、すごく明らかなのでこれでもいいでしょう。

    2006/04/27

    四則演算

    博士の愛した数式を読んだ少し後に、結城さんの「ミルカさん」シリーズを見つけました。
    おかげで、最近は時間があると算数のことを考えています。

    足し算には、基点と単位が必要で
    引き算には、さらに、向きが必要で
    掛け算には、さらにさらに、向きの操作方法が必要。
    割り算になると、そろそろ新しいものは不要。

    で、負数の指数について考えると
    (-1)^x = cos(x*pi) + i*sin(x*pi)
    となりました。

    オイラーの定理
    e^i*x = cos(x) + i*sin(x)
    と比べると、
    e^i = (-1)^(-pi)
    となります。

    そもそも、指数の肩に虚数が乗っている場合はどんな演算を
    表しているのか良く分かりません。
    逆に、
    e^i = (-1)^(-pi)
    で演算内容を定義したともいえます。

    2006/04/24

    情報社会学序説

    Cnetの渡辺さんのブログにて、推薦されていた本。
    全文が以下のページでも公開されているので、折を見て読んでいきます。
    http://www.ni.tama.ac.jp/shumpei/LastModern_Common/

    1章を見た限りは面白そうだけれど、挫折しそうな気もします。

    2006/04/23

    アドセンスを設定してみる

    どんな広告がのるのか、試してみたくなったのでアドセンスを設定してみました。
    いつまで「公共広告」が続くのか楽しみでしたが、いつのまにかブログの広告に、、、

    2006/04/17

    IDは26164956

    ブログの掲載サイトと投稿用サイトが別々なのは、なにか面倒です。
    ためしに、投稿用ページへのリンクを張ってみます。
    これで平気なら、テンプレートをいじれば多少便利に。

    何か手段が用意されているような気もしますが。

    googleさんで探すと色々出てきました。時間が出来たら
    使い勝手の調整を試みてみます。

    2006/04/15

    メモツールとしてのユーザーインターフェイス

    単にメモをとるだけの目的として、PukiWikiとインターフェイスを比較すると、
    それぞれに、一長一短があるようです。

    PukiWikiの良い所
    • 段落の構成、表組みがある程度自由にできる。
    • ページをみながら、すぐ追加/修正できる。
    bloggerの良い所
    • Wysiwygでの編集ができる。
    • コンテンツを投稿単位で整理できる。

    はじめに

    今まで、思い付いたことはWikiにメモしていましたが、
    ちょっとメモしておくには面倒なのでブログにしてみました。

    メモする内容は主に3つ。
    • 思い付いたこと、気になったこと
    • 精神的な事、哲学的な事
    • お仕事関連
    未来の自分が見直すことを前提に、徒然にメモしていきます。