2007/12/25

苛立ちの循環

話しの途中で、無言で切り上げる。
目の前の知りたい事だけを、細かく聞いてくる。
こちらの利害は配慮しないで、要求を出す。

こんなやり取りが重なって、苛立ちが消えない。
無視する選択が魅力的に見えるが、せっかくなので事例研究にする。

2007/12/04

自己解決と質問

バランスが難しい。

2007/12/02

新しいブログの立ち上げ

転職活動を機に自分のコアコンピタンスを考えた見た。

思考の構築力と柔軟性がメインになると思う。
常識的な考え方からは一歩離れた考察を行える力があると自負している。

ただし、これだけでは、変な人と見られるだけだから、
具体的な思索の過程を、見せられる必要がある。
そのことを意識したブログを新たに作ろうと思う。

思考することの楽しさを取り戻す効果もあるだろう。
ただ、人に見せることを前提とするため、
試行錯誤中の内容や、メンタル面の深いところは、
こちらのブログで草稿を作っていこうと思う。

2007/10/24

ネガティブの構造

見方

過去の出来事からつくられる
常に利用されことで維持される

意識して変えるのは難しい
少しづつ慣らしていく

悪い見方は悪い現実を呼び寄せる
よい見方はよい現実を呼び寄せる

転換が無理なときは凍結でもよい

2007/10/09

心理エネルギー

自己認知の物語が、適応不全になると、心理的な活性化エネルギーが上昇する。

構造が不安定になるため、変革のチャンスだが、崩壊の危機でもある。

カルトのような、安定期であれば一笑に伏す物でも、新たな物語として採用したくなってしまう。

2007/10/04

何がしたいのか

終わった事に、延々批判を浴びせる場面に居合わせた。
これからの事に目を向けない限り、何の意義もなく、不快感が蓄積するだけなのに。

発散せずにはいられないストレスを抱えているのだろうか?

2007/10/03

断片2

認識の枠組み
優位にある連想パスの組み合わせ。

パスの変更は、直接的には行えず、別パスを作成し、意識的に双方のパスを利用して段階的にバイパスする。

断片

認識の枠組みと心の流れ。
枠組みの不安定さ
変化の可能性
不安と苦しみ
安定した枠組みの希薄化
幸福の背景への衰退

2007/09/24

批判の心理機構

議論における建設的な批判ではなく、文句や愚痴について考える。

なぜ発してしまうのか?
相手が不快に感じるのはほぼいつも明らかなのに。
言った側には、どんなメリットがあるのか?言われた側は、なぜそんなに影響を受けるのか?

2007/09/17

心の流れ

思うがままにできること、思ったとおりの反応が返ってくることが、快につながる。
逆に、思うがままにできなかったり、反応が異なったりすると不快になる。
これに、身体的な快感と苦痛を組み合わせたのが、心の流れの基本を形成している。
水が高きから低きへ流れるように、心も不快から快へと流れる。

あまりに単純なモデルだけれど、単純な法則にしたがっていたとしても条件によって複雑な結果をもたらす。
「思うがまま」と言っても、何についてどの様に認知しているかについては、無限の多様性があり、それまでの経験によって構築されるものが異なってくる。
また、心理状況が認知に影響を及ぼし、認知によって心理状況が変化するため、自己フィードバック構造にもなっている。

心が流れるままに任せて、状況が良くなればよいが、良くなるか悪くなるかは運任せといえる。途中で溜まれば、淀んでしまう。
淀みをなくす手段が得られれば、心が自然に流れるようにできるだろう。

たとえば、認知行動療法もそんな手段の一つになる。

2007/07/19

外部誘引モチベーション

作業のモチベーションを外部誘引で維持する場合、作業の質は劣化しやすくなる。
なぜなら、注意は作業それ自体ではなく、誘引要素に行ってしまうから。
取っ掛かりとしての、外部誘引は有効だけれど、モチベーションを維持し続けるのに使うことはできない。

誘引要素として、プレッシャーを利用する場合は特に品質劣化を起こすものと思ったほうが良い。

2007/07/17

非難の力

なぜ、非難が力をもつのか?

やりたくても、出来ないことに、焦点を当てるから、束縛状況によるストレスになっている。

2007/07/10

聞く気がないのに

相手に聞く気がないのに、助言をしても反発を招くだけ。
例えそれで泥沼にはまっていても、指摘するのはした側が疲れるだけ。

どうしても、助言したいなら、まず聞き入れられるための下地を作るべき。

2007/07/05

苦痛の三相

直接的な苦痛
思う通りに行かない苦痛
苦痛の記憶による苦痛

2007/06/24

感情の渦

コーチングの予定が、ドタキャンされてしまった。

こちらも、準備が十分出来ていなかったし、ちょうど良かったのだけれど、
始めに感じたのは、「くやしさ」だった。
今までも何回かキャンセルされたこともあるし、コーチングが十分機能しているとは言い難いから、面倒臭いと思われているのかも知れない。

自分は重要だと思っていた約束が、相手にはそうでもないのが解かるのは、悔しいし、悲しい。
この感情をどうしたら良いだろう。

2007/06/22

常に、その時、最高のことを目指す

結果ではなく、その時出来る最高のことに思いをはせる。

目標は、その時、その時の行動に方向性を持たせる場合にのみ、有効だ。

結果に意識を向けるのは、意識の拡散であり、未達成になる不安により、意識の混沌を生み出す。

2007/06/15

除外ターゲットについて

フィードバックが上手く回らない原因は、暫定的かもしれない。
ターゲットから外すとループに組み入れる機会は失われてしまう。

フィードバックターゲットの変更

幸せになるためには、適度なフィードバックループを作る必要がある。でも、うまく構築出来ない場合はどうするか?

上手く行かない度合いで、対処方法が異なる。

なかなか上手く行かないで、イライラする程度なら、目標の見直しで対処できる。

フィードバックが得られず、アクションも制限される場合は、フィードバックを期待するターゲットから外さないと苦しくなってしまう。

認知ルールを組み換えで、自身のフィードバックシステムから切り離す。

何らかの刺激として存在し、緩和されないなら、苦痛緩和のルーチンを適用する必要がある。

2007/06/05

ツールのアイデア

ページの関連付けをサイトをまたがって行うようなWebパーツがあると便利なのではないだろうか?
リンクの入力にAタグを入力するのは、結構面倒だ。
リンクしたいページのURLを調べなくてはいけないし、リンク先を追加・変更したいだけでも元のHTMLソースを修正しなくてはいけない。
なにより、URLのコピーからペーストまで何段階かのステップを踏むことになりUIとしてのフローが無くなってしまう。

Webベースのブックマーク機能と、ブックマークするブックマークレットとあわせて、編集機能を提供できれば便利になるはず。すくなくともサイトを跨った形での導線が確保できる。
編集機能の利用は作成者に限定されるべきなので、外部認証機能も必要になる。

ユーザは便利になるし、Webベースのブックマーク情報と、リンク情報はメタ情報として利用価値がある。

2007/06/03

GREEやりすぎ

グリーの日記ばかり書いていたら、考え事をまとめる間隔があいてしまった。

反応を返してくれる人がいるのはありがたいことだけれど、
それに捕われすぎると、反応のための反応になってしまう。

多少距離を置いたほうが良いのかも。

2007/05/31

フローについて

意識と外部環境が、相互にフィードバックすること。
どうだろう?

意識が集中しているのが大事。
働きかけは必ずしも必要ではないと思う。

他に気を紛らわせてしまうことがあるなら、それは除いてしまいたい。
ネガティブ思考にはまっているときのように、集中しても苦しいだけのときもある。

2007/05/24

幸せの技術

幸せを感じるには、トレーニングが必要。

幸せはスキルであり、スポーツと同様に訓練によって獲得される。
効率的なトレーニングの体系は構築出来たとしても、知識だけでは獲得出来ない。

2007/05/17

ルパン三世のJAZZサントラ

もともと作曲した大野雄二さんが演奏しているらしい。
LUPIN THE THIRD JAZZ the 3rd

2007/05/16

簡単プログラミング環境

とっても簡単なプログラム環境を構築したい。
Webベースで実行とデバッグができるような。

Wikiに記録を書くような感じでプログラムができると。
新しい言語体系も必要になるだろうし、アーキテクトから設計する必要がある。
実行結果もWebベースで表示ってだけではなくて、別マシン上のクライアントで
実行できるのとやりたいことが広がっていく。

PS3で実行できたらなおうれしいかも。

PS3 対応のLinux環境

Yellow Dog Linux v5.0J

2007/05/15

高揚感の喪失

フロー理論が、人の協調的な生活を…
頭まわんないや

2007/05/13

フロー体験

コーチングがなぜ機能するのか?
どの様なコーチングを行いたいのか?
これについての心理学的な答えが得られそう。

フロー体験 喜びの現象学 M. チクセントミハイ

そして、私のVisionも
「かかわる人が、常にフローを体験できるようにする。」
としてみた。

2007/05/11

クライアントととの係わり

コーチとクライアントとの利害関係パターンでコーチングの形が決まるのではないか?

実際に、分類してみる。

答えはクライアントの中?

全ての答えは、クライアントがしっくりくる物でなければならない。(この考えは、逆に制約にもなりうる)
ただ、クライアントが明確な答えを持っているとは期待出来ない。
表現された答えが、しっくりくるか判断出来はずなので、それを頼りに、バイオリアクションに注意しつつ研いていく。

磨き方、探し方は、コーチングのスキルとして手に入れる必要がある。

アセスメント

コーチングの推進力は、ゴールのビジョンによる。
ビジョンを明確化するにも、現状を把握するにも、アセスメントが必要だ。

2007/05/06

結城さんへのフィードバック

結城さんが、Yahoo!ブログを書いている。
結城浩のYahoo!日記
感謝について気づきがあり、どうしてもまとめたかったので、ついでにフィードバックしてみた。
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結城さん、はじめまして。

結城浩のYahoo!日記で「笑顔を大切に(コミュニケーションのヒント)」を拝見して、とても大きな気づきを頂きました。
もしかしたら、結城さんの伝えたい本筋からはずれているかもしれませんが、感想がてら気づいたことを報告させてください。

最初にさらっと読んだときは、私の中で「笑顔」と「感謝」が上手く結びつきませんでした。
「感謝」には、どちらかと言うと義務のイメージを強くもっていたからだと思います。
でも、日記には感謝の気持ちを持つことで自然な笑顔になるように書いてある。。。
多分私の考えている「感謝」とは異なる「感謝」を結城さんはお持ちなのだろうと考えました。
そして、結城さんの「感謝」はどんなもの何だろう?と考えてみました。

まず、笑顔が生まれるのだから、喜びがあるはず。
なにに喜んでいるかと言えば、相手のしてくれたことを喜んでいる。
これだけでは、まだ少し届いていない気がして、日記を読み返してみると、次の2文が飛び込んで来ました。

…そういう小さな一つ一つのことに対して「感謝」の気持ちを持ってみましょう。
せめて、感謝の気持ちを持ちたいな、と思ってみましょう。


感謝の元となる事柄を、感謝しようという姿勢で探している!!!
感謝は受動的な行為ではなく、能動的に行えると気が付きました。

結局、感謝について、次のように考えることにしました。
「今、満たされていること、与えられていることに、意識を向け、それを喜ぶこと。」

こうした感謝をしようとすれば、不足への不満や失敗への恐怖から、満たされていることへの喜びに意識を切り替えられそうです。
ただ、ちょっと練習が必要な気がします。
なので、これから感謝のネタ探しをして、バシバシ感謝してみることにしました。
考えるだけで、楽しくなってきます。

まずは、素敵なエントリーを書いて下さった結城さんへ感謝を。
本当に、ありがとうございました。

2007/05/04

届かない人

母が届かない人の典型だ。
自らを守ることで精一杯で、他人が自分と異なることを受け入れることが出来ない。
決めつけと批判で、世界と対峙している。

他人と係わらない限り凝り固まってはいるが、安定した自我を維持出来ている。

自我の変革は、困難で苦痛を伴う。そのままの方が幸せだろう。
たとえ、変革の後に救いがあるとしてもだ。
届かないのは仕方がない。私自身も余裕がない今は、外から見守ることにしよう。
もしかしたら、いつか手を取り合えるかも知れない。

2007/05/03

渇望

人に疎まれるのは怖い。疎まれたまま為す術もなく佇むのは苦しい。
なのに人と強く係わりたいと望んでしまう。人との係わりは、自らの力が及ばない所へ心を持っていく。
力が及ばないため、信じるしか道はない。信じられないならば、諦めるしかない。
人との係わりは、いつ消えるとも知れない。たとえ消えたとしても、巡り合わせに感謝できるものを慈しみたい。
最初から係わりを持たなければ、心は安定する。しかし、それは枯れ果てた安定だ。

苦しくとも渇望し、癒されずとも慈しもう。

2007/05/01

前を向く

今日のコーチングで、コーチとしての不安、コーチングが上手く回っていないのではという不安をKさんに吐き出してしまった。
セッション自体は、あまり効果的に出来ず、Kさんのメンタルをポジティブにすることも出来たかどうか。

コーチ自身がネガティブになってはいけない。
なったとしてもクライアントに見せてはいけない。
常に前を向いていなければ。

前を向くために、強く望む。
いかなる望みでも、望むこと自体はためらわない。
届くか届かないかは問題にしない。
道は望みの大きさが照らしてくれる。
ただひたすらに、歩み進む。

つまりは、ビジョンの力だ。
ビジョンによって、Full Steam Ahead にいくのだ。

2007/04/28

社会とのつながり

社会との心理的なつながりは無くとも生きていくことは出来る。

もちろん、必要最低限の収入がなくては生活が出来ないが、
ここで言いたいのは、実生活ではなく心のつながりのことだ。

社会と心理的につながっていないのは、寂しさやむなしさ
など、ネガティブな感覚を呼び起こしやすいが、解釈の問題だ。

2007/04/24

バイオリアクション

世の中、そんなにおかしい人ばかりじゃない。はず。

2007/04/19

コーチングの影響時間

コーチングが効果を上げるのは、常に影響を及ぼし続けているから。
常に影響を及ぼすためには、行動に先立つ認知ルールに働きかけなくてはならない。

認知ルールは人それぞれで、他人が完全に理解することはできない。だから、どう変えて行くかは、本人に任せる他ない。

アンテナを張る、新たな視点を持つ、支援をえる、スキルを磨く、現状を把握する、知識を蓄える、安定した基盤を持つ、機会を求める、等々。

2007/04/17

守秘義務とメンタル

コーチングする上で、コーチング内容についての秘密は守らなくてはならない。
とは言うものの、他の人との会話やコーチングで、話しが及んだ場合に、何も知らないふりをするのは、気が咎める。

良い対処方法は無いか悩んでいた。

コーチングの内容は、セッションが終わったら忘れる。次のセッションで、今までの内容を思い出す。

2007/04/13

起こった直後にアプローチする

認識ルールを変えるのは、起こる前にアプローチする。
それ以外に、認知スキームを事前準備して、直後にアプローチする。

2007/04/09

志の確認

流動性があり開かれたコーチングファームを作る。

コーチングをしてみて

実際にコーチングをさせてもらった。
想像以上に気力を消耗する。
適切な質問をするために、相手の考えを、一旦そのままの形で理解しようとしたが、相手の混乱に巻き込まれてしまった。
適切なタイミングで、割り込む必要があったけれど、考えている様子だったため決断できなかった。
きちんと聞くために、クライアントにも協力を求める態度も必要。
また、雰囲気を伝えるタイミングや伝えかたにも課題がのこる。

2007/04/06

コーチングのイメージについて

コーチングのイメージを他の人にも聞いた。
私のイメージとは大きく違っていて、説明不足を痛感してしまった。
  1. コーチングって、すっごい怒鳴られそうな気がする。
    多分、宗像コーチのイメージかな。彼はきっとサディストなんだ。
    そうでなくても、あれはトレーニングで、コーチングとは別物だよ。
    コーチは話しを聞くだけ。時々は質問もするけど、基本は聞いてばっかり。
  2. コーチングを受けるには、心理的な弱みをさらす必要がありそう。
    これが一番、意識にズレがあって驚いた。
    コーチングは弱点を直すってよりも、強みを補強するって感じ。
    ネガティブをポジティブにするんじゃなくって、チョイポジをメチャポジにしようと。
  3. コーチング受けたからって、どうなるかピンと来ない。
    上手くいったらだけど、頭の中がスッキリする。
    で、行動したくなって、結果につながっていくと。
  4. 具体的にはどんなテーマで?
    例えば、毎日お弁当を作ろう!とか、
    ビリヤードで突ききりを目指そう!とか。
  5. 効果あるの?
    正直、解らない。まだ素人だし。
    下手をすると、単に話しができて、私が嬉しいだけかも。

大体こんな感じ。

2007/04/03

認知スキームの組み換え

この、めまぐるしい感覚が何か思い出した。

小学生低学年、子供の頃の感覚だ。
毎日、毎月、毎年がとても長く感じて、人生がこの何倍も続くと思うと、めまいがしそうだった。

低学年の頃はいじめられていて、安心できる居場所はどこにも無かったような気がする。
学校も、学童保育も、保育の後に預かってもらっていた方の所も、家も。

5~6年生になって落ち着てからは、学校が楽しかったように思う。
担任の先生どうしているだろうか。

感覚の暴走

なにか、試練が次から次に起こっているような気がする。
気持ちの問題について、ひっきりなしに考えさせられるし、苦しくもある。

時計のガラスが割れたことに始まって、
ご婦人を図らずも杉並区役所まで案内してしまったり、
ペットボトルの回収箱が空きっぱなしになって困ったり、
コーチングのクライアントをお願いした人みんなに断られたり。

結局、コーチングのクライアントを頼んだ人からは断られてしまった。
携帯のメールでお願いしたKさんやBさんからは、返信が帰ってこなくないし。
しっかし、断られることでこんなに、気分的に追い詰められるとは思っても見なかった。
告白しては振られるのを繰り返す中学生みたいだ。

メールならスパムメールでさえ嬉しくなってしまうほどに張り詰めている。
確かに渇望を欲しいと考えたこともあったけれど、ここまで狂おしいとは。

こんなとき、気持ちの強い言葉に引かれる。
 「たとえ選択肢がひとつしかなかろうと、私は自分で選択した道を行く。」
悪魔のミカタの台詞だったか。
力強く、人生の全責任を負う覚悟が宣言されている。
誇り高く世界と対峙している。

感情の未確定

感情が未確定な状態も苦しみになる。
だけど、無理に決めると感情に付随する認知スキームを固定してしまう。

2007/04/02

鏡の法則

Midtown の TUTAYAで見かけて買った本。
なぜかサンクスでも売り出していた。

著者は「EQコーチング」をしているらしい。

2007/03/30

作り笑顔の効力

意欲の問題
場を作ろうとしている
気持ちを偽るのではなく、心を開く準備運動。

2007/03/29

コミュニケーションのプロトコルが違うと言うこと

つまりは、そういう事だ。

尊敬と協調が主体となる場合もあれば、暴力と脅迫が主体となる場合もある。
もちろん、その間に沢山のバリエーションがありうる。

それぞれが駆使できるプロトコルの範囲でネゴシエーションをするしかない。
日本語とスワヒリ語では会話にならない様なものだ。
たとえ自在に駆使できなくとも、英語を利用する事になる。

裁くなかれ

他人を評価し非難する事は、裁いているのと同じだ。自らに跳ね返って来るだろう。

受け止め、感謝し、祈る道をさがそう。

ただ、人によって心を通わせられない事も、受け入れる必要がある。

人によって対応を変える

気力が充実してないため、誤った考えに捕らわれているかも。

人によって対応の仕方を変えた方が良いかも知れない。

相互に信頼できる相手や、尊重しあえる相手ばかりではない。
将来的には、そういう関係になるかも知れないし、成らないかも知れない。

コミュニケーションが成り立たない状態もある。
苛立ち攻撃的になっている人。横柄な態度の人。疑り深い人。怯えている人。

いつか、相手と対応の関連と、時間的展開を検討したい。

感謝は喜び

感謝は喜びの表現で、表現されることで喜びがマスター

2007/03/28

なぜ無欲か?いかに無欲か?

心の平穏のために、なぜ無欲が求められるのか?
欲求は行動を起こさせる刺激だ。行動出来なかったり、目指す結果が得られない状態が続くと、苦しみを生じる。
そして、不足に意識を向かわせ、現時点で満たされている事を忘れさせる。
欲求を満たそうとするプロセスや欲求を感じている事自体に喜びを見い出せなければ、苦しみの元となってしまう。

快不快の種類と強さ

快と不快のそれぞれに色々な種類がある。
むしろ、様々な刺激を快と不快に分類している。

分類の基準は、刺激のある状態を維持したい場合は快と解消したい場合は不快としている。

快は現状の受け入れを不快は現状の変革を促す。

それぞれの強さは、意識を何れくらい占めるかによる。同じ刺激でも瞬間で異なり、客観的な数値を当てはめられない。

2007/03/27

ふと浮かんだ言葉

「あなたが何も持っていないというなら、それは全てがあなたのものということ」

なにも持っていないことを基準とするなら、出会ったもの全てを喜びと出来る可能性がある。
全てのものから喜びを得られるなら、それは全てを所有することに勝る。

2007/03/26

コーチングを初める

まずは、クライアントになっても良いって言ってくれた人に連絡をとる。

クライアントを引き受けてくれた事を感謝する。
そろそろスタートしようと思っている事をつたえる。
考えている進め方を説明する。
都合の良い時間帯を聞く。
認定コーチの試験のため、名前と連絡先、コーチングの時間を伝えても良いか許可をえる。
他のクライアントになってくれた人にクライアントである事をつたえても良いか許可をえる。

2007/03/22

コーチングの最初

コーチングの最初のプロセスは、クライアントの成長ニーズを明確にし、クライアントと合意する事。
なにを欲しているか、思うままに話して貰うには信頼が必要。
満たし難いと思う欲求は、クライアント自身も意識から外そうとしている。

2007/03/20

破壊的衝動は抑圧への反発

破壊的衝動のなにが喜びにつながるのかと考えると、
抑圧による苦しみを、破壊によって緩和していると考えられる。

抑圧自身は、潜在化していることがあるため、
破壊的な衝動から、抑圧があることを自覚できる。

2007/03/15

クライアントを頼む

誰にクライアントをお願いするか?
すでに和田さん、木村さんには話している。
文城さん、上道さんにもお願いした。

コーチングのリズムが出来るまでは、現時点で
ある程度ラポールが形成できている人を中心に
クライアントをお願いする。
ということで佐藤さんや児玉さんにもお願いしてみる。

だんだん出来てきたら、川合さん、埜口さんにもお願いしてみる。
その次は、長田さん、高山さんにもお願いしてみる。

そのうち両親にもコーチングできるといいけど。

クライアントのタイプ

クライアントには4つのタイプがあるとされている。
コントローラ、アナライザー、プロモーター、サポーター。
なぜ、この4つに分けられるのだろうか?

2007/03/14

苦しみの稀釈

苦しみの原因に直接アプローチ出来ない場合、解消することは出来ない。
代わりに、稀釈して対処する。対処方法の基本は、苦しみが意識を占める割合を減らすこと。
他の事を考えて向き合わない。
別の喜びの元とする。人生の意味など。
より小さい苦しみで置き換える。

2007/03/13

コンプレックスと認知ルール

太っている事にコンプレックスがある。
こう表現するのにも抵抗があるのだから、けっこうな強さだ。
このようなコンプレックスに対して、「そう考えるのは、他の太った人を侮辱している」と
主張して考えを改めるよう促す事は出来るだろう。

しかし、それではコンプレックス自体は解消出来ない。
コンプレックスを感じている事を認められなくなるだけだ。

なぜなら、「他の人を侮辱している」という考えは、
コンプレックスを感じ、感じている事を認識したあとに関連する認識として現れるからだ。
コンプレックスを解消するには2ステップ遅すぎる。

コンプレックスを感じる直前の認知ゲームにメスを入れる必要がある。
コンプレックス自体は直接的な苦しみではなく、連想による苦しみなので、
認知ルールを修正出来れば、解消されるはずだ。

2007/03/12

ちいさな王子

サン・テクジュペリの小説。

「星の王子様」として訳されてきたけれど、版権が期限切れになったことで、新訳が発売された。
前半は風刺が効いているけれど退屈な話が続くが、王子がキツネと出会ったあたりから星に帰るまで感動的な場面がくる。

「さようなら。じゃあ、秘密を教えてあげよう。とてもかんたんだよ。心で見なくちゃ、ものはよく見えない。大切なものは、目には見えないんだよ。」
「砂漠がきれいなのは、どこかに井戸を隠しているからなんだよ…」

なんでも「王子」はサン・テクジュペリ本人で、「薔薇」は奥さんのコンスエロ・スーシンを指していたらしい。
で、この小説を書く前に仲直りしたそうな。知らなくていい情報ってのもあるもんだ。

2007/03/10

罪悪感

罪悪感の構造はどうなっているのだろう。

感情は、喜び、苦しみ、連想で成り立っている。
喜びへの連想は喜びとなり、苦しみへの連想は苦しみとなる。
喜びを求められることは喜びであり、苦しみを避けられることも喜びである。
喜びを求められないことは苦しみであり、苦しみを避けられないことも苦しみである。

罪悪感を分類すると、苦しみを避けられないことの苦しみである。
もととなる苦しみは、直接的ではなく、現状が苦しみを連想させることによる。
さらに避けられない理由は、避けるためにはそれ以上の苦しみが連想されるから。
苦しみと苦しみのバランスの上で行動できなくなっている。

解消するのに一番近いのは元となる苦しみの連想を、新しい現状認識で開放すること。

2007/03/09

全ての人にコーチングを

また、過大な目標を立てて、発想のブレークスルーを。

制約を思いつくままに。

コーチとクライアントの相性の問題。コーチングの需要。ゴールの難易度、切迫度合い。軽くて頻度が多い〜重厚で時々のラインナップ。コーチの時間的制約。双方向の必要性。守秘義務による知識共有の阻害。心が開かれるまでの時間。信頼の醸成。モチベーションの維持。世界のビジョン。話題の不慣れさ。

価値は見出されるもの

最初は、価値付けられない状態にある。
誰かに見出されたときに価値が付く。
客観的な価値は無い。

2007/03/06

感情のなまえ

嫉妬とか怒りとか傲慢とか。
感謝とか好意とか謙虚とか。
感情に色々ななまえがついているけれど。
感情がでてきた瞬間は名付けられる前のエネルギーだと思える。
その時の状況からエネルギーになまえをつけている。だから状況の認知ルールを変えれば感情も変わるかも知れない。

私たちの認知ルール

私から私たちになるのは、私からあなたになるのとはちがう。

古い認知ルール

お互いに生得的な古い認知ルールで、感情的な議論になった時、どのように終息させれば良いか?
原因は認知ルールなので、ルールを変える必要がある。
古い「私」のルールから新しい「私たち」のルールにするのが第一歩。相手にも新しいルールに乗って来て貰うのが二歩目。
「私たち」のルールに従えば対立は解消されるはず。
自分が従うのも、相手に乗って貰うのも困難だけれど。

認知ゲーム

世界や現状を経験に基づいて認識し、認識から感情や行動が導かれる。この一連の反応を指す適当な言葉が無いか考えた。
認知ゲームがしっくりくる。ザンダーさんが書いていた言葉だが、自分で文章にするまで良く練られている事に気付かなかった。
認知の枠組をルールと表現できるのがまた良い。

2007/03/04

自分の心に目を向ける

最近は習慣になっているけれど、自分の心に目を向けるのは、困難な事かもしれない。
さらに、心について話し会えるのは、相互に尊重し信頼がある場合に限られる。

心が自然に流れるまま交わって喜びが生まれるのは、そこに至るまでの前提状況が非常に稀なんだ。

隠すのは恐れているから

騙す意図がなければ、隠すのは、恐れているから。
恐れは人の心を縛り、互いを牽制させてしまう。
承認することで、相手の恐れによる影響を軽減できる。
恐れを無くすには、恐れが何かに向き合わなければならない。

2007/03/02

投稿内容を見直す

思いついた時に投稿ができるので、携帯からblogの投稿をしていた。
ぱっと思いついた時に記録が取れるので、とても便利な反面、
打ちにくいので舌足らずになっている。

時々振り返ってみて、整理しようと思う。

ーーー追記 2007.03.30
整理しようと思ったが、意外とはかどらない。
記述の多くがメンタル面についての分析におかれているので、読み返した時点で考え込んでしまう。
考え込んでしまうのは、現時点の意識にも影響力が維持されているから。
なんども見直すのがいいかと思う。

次の一歩を踏み出す言葉

明日の私は、今日の私より素晴らしい。

心のカオス

腹黒いという話しではなくて、カオス理論を心の動きに当てはめて考えてみる。
ミクロに見ると、単純な法則に従っているのにマクロで見ると凄く複雑な動きを見せる。

2007/02/28

常に喜び全てに感謝するには?

常識をうちやぶる発想方法として、非常に高い目標を。

期待の仕方を変える。
  • 基本を望みが叶わない事におき、少しでも満たされればそれに感謝する。
    現状が想定とは乖離していることに対して、苦しみを感じるような認識の仕方をしない。
  • 満たされないことに拘らず、満たされていることに眼を向ける。
    苦しみに意識を支配させず、喜びに明け渡す。
  • 期待しないのではなく、実現するかどうかに拘泥しない。
    実現に拘らない期待は、祈りに近くなる。
無条件に受け止め評価しない。
  • 条件付けや評価は不足していることに意識を向ける。
    不足の感覚が強く、長く解消できないと、現状を受け入れられずに苦しみとなってしまう。
  • 自分の感情も受け入れる。
    矛盾をきたしそうだけれど、苦しみを呼ぶ感情が発生したら、それも受け入れる。
    発生した時点で、受け入れないと対処できなくなってしまう。
  • ままならない事を、無理に何とかしようとしない。
    喜びをもって対処できるので無ければ、困難なことを無理に解決しようとするのは苦しみが増してしまう。
    認知ルールを修正するか、意識を別のところに向ける。

2007/02/27

憂鬱な事柄が憂鬱な気分の原因か?

憂鬱な気分のときには、原因となる憂鬱な事柄について考えてしまう。
でも、考えている事が気分の原因では無いかもしれない。気分から連想した可能性もあるし、元は大して憂鬱でない事が、気分に影響されてしまっているかも。
そもそも、本当に憂鬱なのか?疲れがたまっていたり、体調が悪いのを憂鬱と誤解していないか?

2007/02/22

共感による喜び

共感をベースに新しい人との関係を作ろうとした。が、なかなか上手くいかない。
共感すること自体が、意図的に行う事ではないためだろう。意図的に行うと、無理にフリをしている様になってしまう。
そもそも、なぜ共感によって関係構築が出来ると考えたのか。
共感が得られた時に、発生する喜びは、どんな種類のものだろう?

2007/02/19

無意識の自己評価と言う認識地図の誤り

対人関係での緊張は、無意識の自己評価が低いことからくる自信の無さから来ていると思っていた。
そして、評価の主体は相手にあるため、結局は相手が評価してくれている信じるしか無いと。

ダメだし防止

承認と同調と同じ問題だけれど、自分自身に課している事を相手に強制してしまい、異なるときにはダメだしをしてしまった。

「ダメだし」は望ましい結果を導かないようだから、「ダメだし」をしないですむように調整したい。
認知フレームは、「ダメだし」は適切な対処ができない不器用さに原因があると捉える。
動機は、自分に投射してしまった場合(相手の立場になって考えた場合)の自己防衛か、相手が困難に陥るのを指摘しようとした親切心のどちらかが主になる。

自己防衛は視野狭窄になりやすいため、相手の状況を過度に自己投射しないようにする。
自己に投射するのは、自身のメンタリティーが消化対応できる範囲にする。
対応できないものは、精神を向上させる課題として置いておき、時間をかけて対応できるようにする。

親切心の場合、主体は相手であることを忘れないようにする。
決断と行動については、相手の自主性を尊重し、直接的な干渉はしないようにする。
まず、動機を承認できないか考え、できる場合は承認する。
実行内容に懸念がある場合は、懸念を伝えるが、決断を相手が自主的に行うことの妨げにならないようにする。

2007/02/18

感謝の精神状態

体に体調がある様に、心にも状態がある。
単純に良い悪いではなく、複数の相がある様に思う。

感謝が喜びを引き出す相もあった。全ての人に感謝を伝えたくなる。
振り返ると、半分瞑想だった様だ。

2007/02/15

承認と同調

心情面で承認と同調の2つは重なってしまう。
同調出来ないが承認することは可能か?

想像の範囲では出来そうにない。
承認するというのは、状態を好ましく思い、その状態が続いて欲しいと願うことだから。
好ましい状態には加わりたいと思うし、加わりたく無い状態を好ましいとも思えない。

そもそも、同調できないのに承認したいと考えたのはなぜか?

2007/02/14

相手の欲するものを認めること

自分の利害と対立するわけではないのに、
相手の欲するものを認められないことがあった。

自分の感覚では価値を見いだせなかったり、
視野が狭まってはまっているように見えたりして。

でも、相手が欲しているものの価値を共有することと
欲していることを認めることは、異なる。
共有できないから認められないでは、自分の価値観を
押し付けて、相手自身を見ていないことになってしまう。

意識していないと、自分の価値観を相手に押し付けてしまう。

2007/02/11

掃除することと物流

ごみを片付けるのは、捨てればいいだけなので簡単だ。
分別やら、ごみ収集の時間帯やら面倒なことはあるけれど、それも一度きりのこと。

繰り返し利用するものを片付けるのが難しい。
原則的には、使った後に元の位置に戻せばいい。けれど、使うたびに戻すのが面倒なので、ついつい、そのへんに放置してしまうか、使わなくなってしまう。
必要なものが、必要なタイミングで必要な場所にあることが理想的だ。

この理想、物流システムの構築と重なるように思う。
物流システムの構築では、リソースがいつ、どのように利用されるかを分析し、適切な保管場所と効率的な流通ルートを構築する。こうすることで、輸送コストを抑えつつ、資源が不足することによる機会損失を減らすことができる。
重要なのは、リソースが必要とされる状況を適切に把握すること。

片付けの話に戻れば、それぞれの物がどのように利用されるかイメージし、利用場所に近いところへ保管できるようにデザインする。頻繁に利用するものほど効率的に出し入れできるようにする。
重要なのは、ものが必要となる生活の場面を具体的にイメージすること。

片付けが面倒なのは、しまう場所のデザインが不適切だから。
しまった際の空間効率だけでなく、利用する際の移動コストも考えに入れると、掃除が楽になる。

2007/02/07

Skype用マイクつきヘッドホン

音声テストを利用してみたが、どうもダメっぽい。
入力ボリュームが小さすぎて、なにを話しているのか聞き取れない。

設定では最大ボリュームにしているので、マイク自身の出力が小さすぎるようだ。
トータルデザインの製品でもない限り、ここら辺のマッチングは難しいだろう。
さて、別のマイクを用意するか、Skypeをあきらめるか。

2007/02/06

家具組み立て

足りない家具を揃えたら、自分で組み立てるものばかりに。
ベッド以外の棚や机が全部なのは、何か理由があるはず。

いいところ
  • 配送を待たないで、もって帰れる。
  • 出来上がっているものだと、微妙なサイズのものがない。
  • 多少、安くなっている?
わるいところ
  • 組み立てるのが手間になる。
  • 梱包材がごみになる。
  • 部品がそろっていないことがあったりする。
こうしてみると、配送の制約がないのが大きい。
休日が半日拘束されるのが、購買意欲を低下させている。

2007/02/04

だらだら

なんにもしないまま、一日を過ごしてしまった。
体調は言い訳にならない。
全ては、明日。

2007/02/03

喜びと行動の一致

行動を喜びに重ね合わせられると信じる。
喜びは伝播し深く拡がっていくと信じる。

これらは、信じるゆえに形をなす類のものだと思う。
自らの感情も含めて、現在を受け止め、そこから喜びを見出すことは出来るはず。
喜びを伝えること、感謝を表すことも出来るようになるはず。

2007/02/02

心理障壁

コーチの連絡、スポーツクラブの契約、心理面の考察など、積極的に活動出来ない感じ。

喜びの伝播

「ひとに親切を行うときには、見返りに感謝を求めている。だから、純粋な親切はありえない。」

この考え方には賛同でない。抵抗したい要素がいくつもある。
まず「純粋」に引っかかる。親切が純粋である必要性はなく、純粋で無いことで「親切」が否定されることはおかしい。
「見返り」を求めることが悪いとされているのもおかしい。本能や習慣に基づいた半ば無意識の行動で無ければ、なんらかの見返りを欲するのは当然に思う。むしろ、見返りを得るために行動しているはずだ。
問題は見返りをどこから、どのようにして得ようとしているかだろう。

自分と相手の利益を一体として、親切によりその総量が増えた場合に、増えた分の一部を手にすることは良いことだと思える。たとえば、利益が「喜びの感情」であれば、相手が喜んでくれたことが、自らの喜びになりうる。この場合、利益は分配されて減っていくのでは無く、伝播することで広がっている。

感謝は喜びを表現する方法のひとつだと思う。
様々なことに喜び、それについて感謝を表すことは、創造の力といえる。

2007/01/31

ステレオタイプの力

敵対したり攻撃する意志が全く無いにもかかわらず、他人の行動が想定範囲から外れると、心理的な反発が発生しやすい。
心理的な反発が逆順に解釈されると、もともとは持っていなかった悪感情が設定されてしまう。
他人を一般化したモデルで把握すること(ステレオタイプ化)は、効率的に対処することが出来るようになる半面、モデルから外れた場合に不要な対立のもととなる。人の個性や状況は多様なのだから、どんなモデルからも、多かれ少なかれ外れてしまう。
問題を起こさないためには、対立が問題にならない程度に関係を薄く保つか、相手の期待するステレオタイプに沿って行動することになる。
これでは関係の断裂が定常状態になってしまう。

ステレオタイプ化は、意図的に行われるというよりも、経験の蓄積から無自覚に獲得されている様に思う。これを自覚的に把握し制御することで、関係が断裂していくのを抑止できると期待したい。

郵便局の手続き

昼休みに杉並郵便局で住所の届け出手続きをしようとしたが、上手くいかなかった。
実家と今の住所の2箇所に郵便を送るのは想定されていないみたい。
いや、窓口の人が判らなかっただけか。
勝手に宛先不明にせず、記載された所に送ればいいのに。
住所変更は、住民票から免許証、保険証、クレジットカードなど、手続きが面倒でやりたくないのだけれど。

2007/01/30

送別会

これで会うのは最後かと、体調が悪くても会いたいと思った。
が、頭が回らないと、何て話し掛けて良いか分からない。ネガティブな事はいいたくないし。
コミュニケーションには体調が重要だ。
信頼感が醸成出来たら違ったかもしれないけれど。

信頼感を詳細化してみる

なにがあれば、信頼感が醸成されていると言えるのか?

2007/01/29

今日の出来事

まずは木村さん岩崎さんとビリヤード。
ROOTSは空いてなかったので、荻窪へ。
その後、阿佐ヶ谷で夕食。
会計でひと悶着。
出す、出さなくていいでもみ合い、結局私だけ出さないことに。

結果は、「なんだそりゃ」だけれど、その時点ではファシリテートできなかった。というより、ファシリテーションが必要だと気づけなかった。
もめている時に、ファシリテーションを意識するよう習慣づければ、次はうまくまとめられるかな。
ともかく、木村さんか岩崎さんに2000円分の借りって事で、いつか返そう。

2007/01/28

閲覧の制限は効いていないみたい

ログアウトしてからアクセスしてみても、制限設定前となんら変わらない。
うまく動いてないみたい。なんだかな〜。
でも、ま、制限されてるつもりでどんどんいきましょう。

追記:設定の反映に時間がかかったみたい。1/29現在は、閲覧が制限されています。

ブログの閲覧を制限しました

思い付いたことを、パッとメモしようとしたときに、公開されている事が心理的な制約になっているようです。まとまっていないことも気になるし。
出来るだけ心理的敷居を低く抑えることで、投稿を習慣付けていきたい。

2007/01/27

投稿テスト

携帯からも投稿出来るらしい。

手軽さという点では、現状ではもっとも良いツールになる。
電車の中なんかで、ひらめきや気づきがあっても、
記録するまでにぼやけてしまうことが多かったけれど、
これですぐに記録できるようになった。

打ちにくいのが欠点だけれど、エッセンスだけでも記録して、
あとでPCから補完すればたいした欠点にもならないだろう。

ひさびさの更新

今年になってから、日記を書くようにしたらブログ更新のエネルギーが減ってしまった。
考えたこと、感じたことを記録できればよかったので、PCよりノートとボールペンの方が手軽で書きやすい。
とはいえ、ここ数日は日記もとどこおりがちだったり。
帰宅が夜遅くなったり、深酒すると眠くなってしまう。継続しないと継続していないことが変なプレシャーになってしまいそうなので、一行でもかいていくようにしよう。